9月 園便りより

夏休みは皆さんいかがお過ごしだったでしょうか?いろいろな夏ならではの体験をされた方もいらっしゃるでしょうし、コロナ禍の中ですので思うように楽しめないところも多くありましたね。私も夏休み前半の子どものサッカー以外は、ほぼステイホームでした。「奄美大島に行きたい」という娘を庭のビニールプールと家族でのBBQや花火でなだめながら、あとはオリンピックのテレビ観戦ぐらいでしょうか。「本物の体験」がどれほど出来たかわかりませんが、ビールを飲みながら日本代表のサッカーについてあれこれ語った家族での会話はとても楽しいひと時でした。

コロナ禍の中での夏休み、オリンピック・パラリンピック、本物の体験の重要性と素晴らしさ、本物だからこその輝きもそうですが、それによる人々の高揚や人流の増加・それに伴う感染症増加もまぎれもない事実でしょう。感染症増加の中で医療提供体制のひっ迫や救える命が救えなくなってきていることも・・・様々な経済活動が停止すると、それによって生活を損なったり、命を落としてしまう人々がいることも・・・どうすることが正しいとかはそれぞれの立場や価値観、個別の事情もありますので一概には判断できません。

人の命が大切だということは間違いありません。その命を豊かに生きるために教育や社会も必要です。「命を守ってより豊かにしていく」その為にみんなが善意を持って頑張っているはずですが、それぞれの立場によってそれぞれの具体的な行動や意見が少しずつ違ってきます。そういった中で意図しなくても対立や分断、争いが起こってしまう場合もしばしばあります。こういう時こそどちらにも、立場や意見・文化や価値観等が違う人への相手を思いやる心、理解しようとする心が必要になってきます。相手を認め受け入れ、よりよくなっていくように愛の心で対話をしたり教え合ったり協力し合っていく事が必要になってきます。忍耐・赦し・希望・奉仕などの愛に支えられる人間の知恵が必要です。

ここでしばしば私たちは迷い苦しみます。果たして相手が善意・愛を持っているのか?「命を守ってより豊かにしていく」為にではなく、自分の為だけにしてないか?相手の善意と愛を信じることが出来なければ愛するのは格段に難しくなります。だからこそ一層の本物の愛が必要になってきます。キリスト教の元になっていたユダヤ教では「目には目を、歯には歯を」の教えがありましたが、イエス・キリストは次のように教えました。自分を愛してくれる人を愛するだけでなく「敵をも愛しなさい」と。「裁くな」「7の70倍も許しなさい」と教え、自分を十字架につけようとする人々の為に「どうかこの人たちを許してください。何をしようとしているのかわかっていないのです」と祈り、本物の愛を教えてくれました。神様が人間を既に愛してくださっているように、相手に愛の心で接することによって、相手の愛の心を呼び起こすのです。

この愛の心がモンテッソーリ教育法にも活かされています。モンテッソーリ教育では「教えて教えて教えなさい」と教師の忍耐と子どもを信じる大切さを伝えています。子どもに活動の仕方を伝える時、子どもが違うやりかたをしても子どもの行動を否定するのではなく、忍耐強く、何度でも正しいやり方をして見せるのです。そしてその都度子どもに活動する自由を保障します。無理やりに強制することはしません。正しいやり方をその子の為によりよく伝える教師の自らの努力と奉仕の心・子どもの自らの活動を待つ忍耐力・子どものありのままを理解して受け入れる理解力と受容力・子どもが自ら育つ力を信じる希望の力、すべて子どもへの愛がないと出来ません。子どもは敵ではありませんが、自分の思い通りになる存在ではありません。大人が自分の思い通りにしようと考えるべきでもありません。その子の善く育とうする力を信じて、忍耐しながら待ち、その子が自ら活動する為に最善の関わり方を模索し努力し続けるのです。

2学期も子どもたちの力を信じながら、その育ちを支えられるように、善い手本となれるように頑張っていきたいと思います。どうぞよろしくお願いいたします。