5月 園便りから

本園で取り入れているモンテッソーリ教育は、18~19世紀イタリア初の女性医師マリア・モンテッソーリが、医者として小児診療をしている中で、知的障害児への教育に取り組むようになり、同じ方法を健常児に活用するようになって生まれた教育方法です。当時、貧しい生活の中でも知的障害児が落ちたパンくずを拾い熱心に並べて遊ぶ姿を発見し、並べ終わった後の何とも言えない満足げな表情をして変わっていく姿見たのがその教育法のきっかけとなったとも言われています。

モンテッソーリ教育でとても大切なことは、子どもをよく「観察」することです。私はここにいくつかの意味を感じます。「観察」するのは、その子がどのような状況で何を求めているのか、何が得意で何が苦手で・・・とその子を「理解」するためです。そしてその子のありのままの姿を「受け入れる」ことが出来ないと正確な観察は出来ません。そしてその子の意思を「尊重」し、こちらのしたい事を無理やり押し付けずに「待ってあげる」ことが出来ないと、その本来の様子を観察することは出来ません。この「尊重」「受け入れる」「待つ」ことが出来ると良い「観察」が出来てその子を「理解」しやすくなります。良い理解が出来て初めて、その子の為に良い「環境」を用意することが出来ます。でも、日々成長する子どもにとって、その環境が本当に今のその子に合っているのか確かめるには、その環境を子どもに紹介し、活動(生活)を促しながらも、また「観察」を続けることが必要です。

園では、子どもたちにも様々な個性がありさらにそれぞれの発達段階にありますが、一緒に集団生活を送ります。なので、同じ生活・同じルールの中にあってもその子一人一人をよく観察してその子にあった環境・対応・接し方を用意することが必要です。その一人一人への観察力・環境を準備する力・対応力が、モンテッソーリ園・縦割り保育の園の腕の見せ所と言えるでしょう。でも、人間への教育とは本来基本的にはそういうものであり、どの園であっても小学校以降の教育であっても、ひいては社会全体としてもとても大切な点だと思います。

園には、いろいろな個性の子から、発達障害かな?その傾向があるのでは?と思われる子も在園します。いわゆる発達障害と言われるものは、先天的なものであり、発達に偏りがある状態です。その偏りの影響で、音や色や味や感触等いろいろなものの感じ方が他の人とは違ったり、感覚的なものから感情的なものまで感じ方が違う場合があります。なので、生活していく中でその子本人がその違いに困っていたり、苦しんでいる場合があります。偏り具合はそれぞれなので、一概には言えませんが、それは、人とのコミュニケーションや知的な発達や言葉、偏食や多動・情緒の不安定等に表れる場合もあります。なので、先ずは近くにいる人の理解とその子に合った関わり方が必要です。周囲の理解のないまま、同じものを押し付けられて苦しんだり、「自分はダメな子」なんだと思い込んだりしていくことが、その子が持っている偏り以上に、その子の本来の育ちを阻害してしまいます。逆に言えば、出来るだけ早くその特性を理解してもらい、良い環境・適切な支援を受けられれば、その子本来の善い個性を発揮して育つ可能性が広がるでしょう。実際にその特性を生かして豊かに生活している方もたくさんいらっしゃるようです。

園では、障害のあるなしに関わらず子どもたちへの関わり方の質向上の研修もかねて、県の療育支援事業を利用しています。定期的に子ども発達支援センターから講師を派遣してもらい、専門的な目で園児の様子や先生との関わりを見てもらい、その子に対する適切な関わりや支援ができるようにアドバイスをいただいています。志布志市や大崎町等の保健師さんや、ニコニコハウスさんやリ・コネクトさん等療育施設とも連携をとって、子ども一人一人との適切な関わり方ができるように模索しています。みんなと同じことが出来ない手のかかる子への対応の為ではありません。より良く観察して一人一人の特性に早く気づいてあげて、それぞれの子に必要な支援の仕方や関わり方を学び、その子が幸せな自立への道を自分で歩めるように手助けする為です。

多様性の時代の中で、このような発達の偏りや特性も、個人の大きな個性の一つととらえられるのではとする声もあります。私も、そのような大らかな見方で親も周囲の大人も先生たちも社会全体もその子を包んであげられると、例えば、乳幼児への支援・学生への支援・就労者への支援・高齢者への支援等と同じように、あって当然普通のサービスとして自然な支援が行き届き、その子にとっても周囲の人にとっても素敵な社会・幸せな生活・平和な世界となるのでは思います。